人間には生きる意味があるのか?
そう悩む人もいるらしいです。
私は「生きる意味は自分で考えてよい」
と思っています。
いや、むしろ「自分で考えなくてはいけない」くらいの想いがあります。
宗教に決めてもらおうとは全く思っていません。
だから、
「子供たちのため」でもあるし、
「自分が楽しむため」でもあるし、
「世の中をよくするため」でもあるし、
そうやっていくつ意味を作ってもよいと考えています。
そこを真面目に1つに絞らないといけないと思うから
悩みが生じてくるんだと思うんです。
で、寂しいことを言えば、
生きる意味というのは生物学的には
種の保存なんでしょうね。
これは不変だと思います。
ただ、種の保存を身体的、精神的に無理な人もいます。
では生きる意味はないのか?
と言ったらそうでは無いです。
人間は生きる意味を自分で見つけていいんだから、
種の保存以外の生きる意味があってもいいんです。
でも、種の保存ってのは、
よくよく考えてみると、子供を残すだけではなくて、
人間の場合は文化的なものでもOKなわけです。
もちろん残さなくても、
今、自分のやっている行動が
他人に少しでも良い影響を与えているなら、
もうそれだけで生きる意味ってあると思うんです。
動物と人間の違いは「考える」ことができること。
だから、種の保存という原点を越えて、
自分でいろいろな意味を見つけてもいい。
だから生きるって面白いんだと思います。
この生きる意味を奪われてしまったり、
他人からコントロールされるとき、
人は本当に生きがいを失ってしまうんでしょう。
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