ブログを統合します


二つに分けていると煩雑になるので、まとめて下記のサイトに記事を投稿していきます。
BangkokLife

心を柔らかくして生きる

大人になると心が固くなる
って感じたことがありませんか?


私は自分もそうなんですが、
周囲やテレビを見ていても
悪い方向に年を重ねてしまっている人は
頑固になっていると感じます。


なんで悪い方向だと感じるかというと、
自分の考えに凝り固まって、
それ以上の進化の余地がなくなっているからです。


相手の意見を受け入れるからこそ、
自分の価値観にも刺激を受け、
少しでも変化させることで
硬直化を防ぐことができるのです。


木だって固い気はもろいと言いますよね。
柳のようにふにゃっとしている方が
生命としては強いのです。



それと同じように、
心も固まってしまうと
強そうで弱いんです。


こうあるべき!という頑固な心があるから、
友だちでもパートナーにも厳しくなって
お互いに生きにくいことになってしまうのです。


心を柔らかく生きることが
正しい生き方なのかなって思うのです。


頑張らないダイエット方法について


体質などの先天的なことは除外して考えます。


太っていて悩んでいる人がいます。


原因はさまざまあるのでしょうが、
明らかな事実があると思います。


収入ー支出=貯蓄


収入が摂取カロリーで
支出は消費カロリーで、
貯蓄は脂肪です。


単純に摂取カロリーが多いのが原因です。


日々、自分のしている行動、
特に食事が太ることを維持するための行動になっている。
単純にこのことが原因だと思います。


余剰カロリーが無いと余分な脂肪は作られないので、
やはり体型を維持するための努力が
間違った方向に働いているということです。


そのことを朧気に自覚していても、
はっきり自覚していないから
なかなか痩せることができないのだと思います。


消費カロリーを運動でアップさせるということも大切でしょうが、
普通の生活より負荷をかけた生活を
一生続けられるとは思えません。


やはり一生の視点で見るなら、
摂取カロリーを減らすことこそ、
平均体重に戻るための王道なんです。


摂取カロリーを減らすというと
極端にリンゴだけ食べるとか、
スムージーだけ飲むとかいう人もいますが、
それも一生の視点から考えたら続けることは不可能です。


やはり、日常の当たり前の生活の
摂取カロリーを成人の平均値に近づけることだけを
目標にしたらいいんです。


そのために大切なことは、
まず自分が何をどれだけ食べているかを把握すること。


これができていないのに
痩せようというのは精神論になってしまって
なかなか難しいと思います。



まずは1日どれだけ摂取しているのかを
客観的に知ること。


別に細かく何カロリーなんて調べる必要はないです。
そんなこと続けられないからです。
続けられないことは始めからやらないことです。

1日3食を、普通の定食屋で売られているレベルまで落とす。

ただこれだけでも痩せられます。


ライザップなどで食事の写真をトレーナーに送る必要がある
なんてことを聞いたことがあります。


これは他人に管理してもらう方法でしょうが、
一生の視点で考えたら、
自分の食事は自分で管理できなければいけないと思います。


まずは1日に食べている食事を写真に出てもとって、
一日の最後に振り返ってみてください。


落ち込む必要はないと思います。
まずは単純に客観的に知ること。

そのあとで、
徐々に減らして平均的なメニューに近づけようと
意識し続けること。


これだけで、だいぶ痩せますよ。


終わりなき「欲」と「足るを知る」ということ


もっともっと。


生きていると、「欲」がどんどん生まれてきます。


もっと子供には賢くなってほしい。
もっと家庭が裕福になってほしい。
もっと良い車が欲しい。
もっと良いカバンが欲しい。
もっと痩せたい。

もっと、もっと、もっと。



そうやって、
その「もっと」のために1日の時間を費やすことになります。

そうやって1週間、1か月、1年が過ぎていき、
気が付いたら数年経っていき、
10年経っていき、
あっという間に老人になる日が来るかもしれません。


「欲」をもつことは進歩のためには必要なことではありますが、
その「もっと」は本当に自分が心から欲しい「もっと」だったのか。


そこを見誤ってしまえば、
なんだかわからない社会から植え付けられた「もっと」のために、
1度しかない人生を消耗して終えてしまうことにもなりかねません。


足るを知る。



昔からある使い古された言葉ですが、
私が好きな言葉です。


今ちょっと立ち止まってみて、
自分の心の中にある「もっと」は
本当に人生に必要不可欠な「もっと」なのか。


そこを問いかけることが
よりよい生き方につながると思うのです。

繊細な日本人に必要な鈍感力を高める


日本人は自分も含めて、他人の気持ちに繊細過ぎるかな。


この性質が伸びたのは教育の影響が大きいです。


幼稚園から集団行動を徹底して教えられて、
個より集団を優先するように指導させられてきました。



前へ倣うこと。
1人だけ勝手なことをしないこと。
列を乱さないこと。
グループを素早く作ること。


そうやって集団、集団としているうちに、
他人の気持ちを考える良さから、
他人の気持ちを考えすぎる悪さに変わっていったような
気がしています。


他人の気持ちを気にし過ぎていると、
自分が思うような行動をとれなくなってきます。


他人を傷つけたくないからと言えば
もっともらしいことですが、
よく考えてみれば、
他人ではなく、自分を傷つけないような
予防線だという気がします。


他人を傷つけないではなく、
変わった人だたとか、冷たい人だとか
思われたくない自分がいて、
その自分像を守るために
他人の気持ちを察し続ける。


そうやって生きるのは周囲から見れば
日本人らしさの現れで、
外国人は褒めてくれたりもします。


しかし、生きている自分自身は
どこか本音ではない建て前で生きる
生きづらさを感じていて、
それが閉塞感につながり、
心から湧き出るエネルギーを感じることなく
一生を終えてしまう。


世の中で成功している人たちは
どこか一本ねじが外れているようなところがあります。

他人の気持ちも大切ですが、
自分の情熱を最優先しています。


どこか鈍感になる方が
人生は幸せに生きることができると思います。


日本人に大切なこと、
自分にとっても大切なことは
鈍感力を身につけることだなと思うのです。