人間のために作ったルールで人間性を失う怖さ
全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)の予選会
「プリンセス駅伝」で岩谷産業の飯田怜選手が転倒。
どうも骨折したとのこと。
約200mの距離をはいつくばってタスキをつなぐ場面が
テレビやYouTubeで流れていました。
美談のようになっていましたが、
私は眉をひそめてしまいました。
スポーツである駅伝にはルールがあり、
そのルールの規定から外れたら失格になります。
だから、誰も手助けできない状態。
さらに、根性を美徳とする競技の特性からか、
誰も棄権を判断することもできず。
アスファルトを四つん這いで全力で進むんだから、
両ひざは血でにじんでいました。
海外ならどうなんだろう。
これは美談で済むことなんでしょうか?
本人の強い意志は美しいです。
個人の判断は尊重されるべきです。
好きでやっていることなんだから。
でも、この好きでやっていることの中に、
過度な責任感も含まれているかもしれません。
これがチームプレーのよいところであり、
悪いところでもあります。
自分1人で競技していたら棄権していたかもしれないけど、
チームプレーのお陰で自分の限界を超えることができ、
圧倒的に成長できた。
そんなことがあります。
でも、そのプレッシャーのために、
選手生命を絶つほどに頑張ってしまう人も
出てくるというマイナスも含まれています。
今回の転倒後の四つん這いは、
果たしてどちらだったのか。
両方含まれたものだったのかもしれません。
それと気になったのが、
この規律、ルールにがんじがらめになった人間性です。
四つん這いになった選手の後ろにぴったりくっついて歩く
運営側の人が映っていました。
おんぶしてはいけないのでしょうか?
肩をかしてはいけないのでしょうか?
待っている選手が戻ってタスキを受け取りにいっては
いけないのでしょうか?
もし競技のわくがなければ、
足の骨を折って、
四つん這いで這う人がいたら助けるはずです。
いや、助けなければならないはず。
それが、「競技」という枠があり、
ルールができると、
人間としての判断より、ルールが優先される。
ここに日本人のどこか怖いところがある気がするんです。
これが間違った方向に使われると、
戦時中の間違った判断にも従う憲兵のような人が
生まれてしまうのかもしれません。
ルールはあくまで運営をスムーズにするため、
選手たちのためにあるはず。
それにも関わらず、
ルールのために、
あんな膝を血でにじませ、骨折しているのに
四つん這いで這わなければならないルールなんておかしいです。
おんぶしてあげたらいい。
前の選手がタスキを受け取りに行けばいい。
ダメなら前の選手がおんぶしてラインのところまで歩いたらいい。
それならしっかりハンディがあって、
他のチームに比べて有利になっていることは無いはず。
たったこれだけの判断ができない状況が生まれてしまうことが
ルールの怖さです。
ちょっと語るのにはデリケートな問題ですが、
ネットニュースで流れる「美談」とは違って、
少し眉をひそめている自分がいたんで考えてみました。
みなさんはどう考えましたか?
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