本当にやりたいことは何か?



何か他人から役割を与えられていると
生きがいを感じる人は多くいる。


学校でいえば係活動だろう。


それが自分がやりたいことか、
やりたくないことかは別として、
何か教室内で役割があって、
そのことが自分の存在価値につながる
なんてまことしやかに言われていたりする。


で、そんな役割を果たすことに喜びを見出し過ぎてしまうと、
人は自分が本当にやりたいことではなくても
何かしらの役割を与えられることで、
なんとなく生きがいを感じてしまうもの。


会社に所属すると、自分がやりたくない仕事を多く割り当てられる。
で、その役割に何かしらの意義があって、
その意義は否定しづらいものがある。


どんな仕事だって突き詰めていたら、
他人の役に立っているわけだから、
そこを否定するわけにはいかないのだ。


例えば、会社の前の掃き掃除を命令されたとします。
その仕事は自分がやりたくはないことです。
でも、会社からはこう言われます。

道を歩く地域の人々が快適な気持ちで生活できる素晴らしいことだ。
ましてや地域社会に貢献することで
わが社のイメージもアップする大切なことだと。


そういわれてしまえば意義については否定できない。
しかも掃除について褒められてしまったりしたら、
どうも何かしらの喜びを感じてしまい、
本人も続けることになる。


でも、よくよく考えてみたら、
それは自分しかできない仕事だろうか?
本当に自分がやりたかった仕事だろうか?

確かに誰かがやらなければならない仕事なんだろうけど、
掃除が大好きな適職の人は他にいるかもしれません。


いる、いないは会社が考えるべきことで、
本当に自分がやりたいことはこれなのか?
と考えることすらできずに
毎日が過ぎていってしまうことがありえます。


そうしているうちに5年、10年と時は経ち、
もう戻れないところまで進んでしまうのです。


人生は1度しかないから、
そうやって人生折り返しを過ぎてしまうと
もう戻れない。

だったら今いるところで前向きな意義を見出すしかない。
そうやって人生をやり過ごすことになります。


でも、本当に人生は1回しかないと考えたとき、
今やっていることで良いのだろうか?
と本気で考えてみることも大切なことだって思うんです。


人生に遅すぎるということはありません。
例えば自分は41歳。
何かをはじめるには遅いのか?


いや、60歳の人からみたら、
41歳は若いと言われます。


他人から与えられた役割を果たすことも大切ではありますが、
それは会社の社長がやりたいことの一部であって、
自分のやりたいこととは違うかもしれません。


自分は本当に何をやりたいのか?
そこを見つめることが
幸せな生き方につながると考えています。


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