お受験は否定しませんが、高学歴を色眼鏡で見てはいけない

お受験という言葉がバカにされるような
語感を持ち始めたのは
テレビドラマの影響が大きいのかな。

ある時期から、
お受験に熱を入れすぎる親を
少し斜に構えたようにとらえる風潮ってあったと思うんです。

私個人としては、お受験は全く問題無いと思います。
個人の自由なんで、
やろうがやるまいが、
各家庭が決めたらいいことで、
他人がとやかく言う筋合いは無いです。

私はやらせませんが。

で、お受験を頑張るのは良いとして、
そのまま高学歴になるのも良いでしょう。

ただ、心配なことがあります。

そのような道を歩んできた人の中の
一定数に変わった人格の大人が生まれてくることです。

全員では無いんですが、
テレビの日本最難関の大学を扱う番組の中には、必ずありえないほどの
社会生活に対応できないレベルの人が登場します。

もちろん、テレビ的に面白くするために、そのような人たちを意図的に集めているんでしょう。

自分の大学生活を振り返ってみても、
集めようと思っても、そんな人には出会うことはありませんでした。

ということは、その大学はかなり多い割合で社会に適応できない人材がいるということでしょう。

何か研究の最前線で生きるなら、
それくらいの人の方が活躍できるのかもしれません。

社会に適合するとかは関係なく、
ひたすら解剖学に優れている
なんてこともあることでしょう。

でも、個人的には不安を覚えます。

もし、医者になる人たちであるなら、
技術的に優れているのは大切ですが、
対象を人間として、気持ちある人間として受け止めてくれる人であってほしいです。

官僚や政治家であれ、国の政治に関わる仕事をするのであれば、
社会に適応できる人になってもらいたいです。

他人の気持ちを察することができない人が政治をやればどうなるか。

そのような事例がニュースでバンバン流れてきていますよね。

だから、高学歴ブランドで踊らされている有権者にも問題があるんだろうな。

学歴ではなくて、どんな人間性なのか?
そこが大切になる職業ってたくさんあると思うんです。

お受験街道まっしぐらで生きる生き方だって否定はしません。

でも、その結果として生まれる一定の確率の社会生活に適応できない人には、
国民の健康と安全を守るための仕事にはついてほしくないです。

選ぶ側が最難関大学卒業者で、
同じ大学の卒業生を選ぶ。
そんな高学歴というパスポートでスルーできてしまうシステムがあるなら、
そこを改善してほしいです。

また、私たち選ぶ側も、高学歴だけで色眼鏡で見て選んでしまわないように、
しっかりと人物を見極めなければなって思うのです。

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