自然教育っていう言葉を聞けば、
無条件で良い教育だって思ってしまいがち。
無条件で良い教育だって思ってしまいがち。
よくあるのが幼稚園の芋掘り。
小学校だったり、郊外学習的なものなら植林、植樹ですね。
小学校だったり、郊外学習的なものなら植林、植樹ですね。
これを否定するのって
否定する方がひねくれていそうなんで、
ちょっと嫌な気持ちもあるんです。
否定する方がひねくれていそうなんで、
ちょっと嫌な気持ちもあるんです。
でも、考えなければならないのは、
どれほどの効果があるのだろうか?
ってことです。
どれほどの効果があるのだろうか?
ってことです。
何か効果があるから、
芋を掘るし、植林もするわけです。
芋を掘るし、植林もするわけです。
自然の大切さ、生命の大切さ、
限りある資源の大切さなどを学んでほしいのかもしれませんが、
正直、学びになっているのかというと、
やりっぱなしになっていることが多いんじゃないかな。
限りある資源の大切さなどを学んでほしいのかもしれませんが、
正直、学びになっているのかというと、
やりっぱなしになっていることが多いんじゃないかな。
芋を掘るだけでは学びは少ないのは、
自分の経験を振り返ってもわかります。
自分の経験を振り返ってもわかります。
確かに芋を掘ったんですが、
それ以上でもそれ以下でもなかったです。
それ以上でもそれ以下でもなかったです。
もし、何か学びを与えたいのであれば、
成長のプロセスもすべてやらせるべきです。
成長のプロセスもすべてやらせるべきです。
作物を育てるのがどれほど大変か。
そこを理解して、ラストに掘ってから食す。
そこを理解して、ラストに掘ってから食す。
そのプロセスを完結するからこそ、
自然の大切さを学べるのではないでしょうか。
自然の大切さを学べるのではないでしょうか。
植林だって苗木を植える。
で、後は現地の人にお任せ。
で、後は現地の人にお任せ。
数年後に1回だけ成長した木を
ちょろっと見ても
なんの感動も無いですよ。
ちょろっと見ても
なんの感動も無いですよ。
企画者のほうが大変だったから、
感動が大きいかもしれません^^;
感動が大きいかもしれません^^;
本当に子どもたちに学ばせたいなら、
苗木を植えるで終わりにせず、
成長のプロセスも経験しないと。
苗木を植えるで終わりにせず、
成長のプロセスも経験しないと。
それをする覚悟が無いのに、
何かちょろっとやったつもりを味わうためにやる行動に
何かちょろっとやったつもりを味わうためにやる行動に
どれほどの意味があるのか。
そこをしっかり検証しないと、
もっともらしいことをしたけど、
数年後には記憶に無いってこともあります。
もっともらしいことをしたけど、
数年後には記憶に無いってこともあります。
親としても、子供に何か活動させるとき、
自然教育だからと無条件に飛びついても
そこまで効果は無いかもしれないと
冷静に判断することも大切だって思うんです。
自然教育だからと無条件に飛びついても
そこまで効果は無いかもしれないと
冷静に判断することも大切だって思うんです。
ちょっと斜に構えていますが、
何事も一度落ち着いて考えてみる。
何事も一度落ち着いて考えてみる。
それが大切な生き方だって思うんです。
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