所属する価値観に染まって生きるということ

タイで生活しているとイスラム教の方が多くいます。
私はイスラム教には詳しくないので
よくわからないのですが、
女性が黒い服に見を包み、目だけを出しています。


好き好んでやっている服装なんでしょうか?
よくわからないのですが、
好きで着ているのであれば、
いろいろな価値観の人がいるんだなって純粋に思います。


人は生まれたときには、
まったく同じように真っ白な価値観だったはず
です。


いつのころからか、
女性は黒い服で目だけを出す
という価値観になっていったのでしょう。


それは自分の内側から生まれたのではなくて、
所属する環境から与えられた価値観であるはずです。


内側からであれば、
みんな同じになるという奇跡的なことは
確率的にあり得ないと思うんです。


世の中にはいろいろな価値観があって、
不思議だなと思うことがたくさんあります。


例えば、ネクタイ。



なんなんでしょうか。
私は自営業になってから、
もうネクタイはしなくなりましたが、
社会人のころはよく不思議に思っていました。


なんでこんな細い布切れで首を締めなければならないのだろう。

しかも、長さの調節が面倒だし、
首周りも苦しいし、
無駄な出費になるし。


生まれたときは裸だった人間も、
それぞれ生きる世界で、
不思議な価値観に染まって、
徐々に自分の色というより、
所属する社会の色に染まっていく
んですよね。


と言いつつも、
自分だって、未だにワイシャツに黒いスラックス。

本当に着たい服ではありませんが、
社会人という共同体に所属しているから、
いちおう合わせてはいる
のです。


どこまで合わせて、
どこからは合わせないか、
その境界線って難しいなって思います。


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